視覚-4-色を見る

すべての可視光線(実際にはガンマ線から電波までのすべての電磁放射線)は、波長を別にすれば互いによく似ている。私たちの視覚系は波長を色に変える。

異なる波長は異なる色を生じる。特に、短い波長は(450~500ナノメートル)は青、中間の波長は(500~570ナノメートル)は緑、長い波長(650~780ナノメートル)は赤に見える(図A)。

色の近くに関する私たちの議論では波長のみを考察する。これは色覚の発生源が、太陽や白熱電灯のような、光を放射する物体である場合には適切である。しかしながら、たいていは、色覚の発生源は、光源によって照明されているときに光を反射する物体である。

後者の場合には、物体の色の知覚は、一部の物体が反射する波長によって決定され、一部はほかの要因によって決定される。ほかの要因の一つは、色を取り巻く背景である。物体から目に達する波長が物体の特徴的な色を忠実に示していないときでさえ、空間的に物体に近いところにある豊富な種類のほかの色が物体の正しい色を見ることを可能にす(Land,1975)。

周囲の照明の大きな変化にもかかわらず、青い上着を濃紺としてみる能力は、色の恒常(color constancy)と呼ばれる。

色の現れ

色を見ることは「色」が光の波長の分析に基づいた脳の構成物である、という意味において主観的経験である。しかしながら、同じ種類の色受容器(錐体)を有するいかなる二人の参加者も「色」を同一の方法で構成するようであるから客観的でもある。

典型的な参加者の様々な色に対する経験に言及するため一番よく使われる方法は、色の経験を、色相、明かすさ、鮮やかさの三つの次元で体系化することである。色相(hue)とは、赤とか緑とか色の名前によってもっともよく記述される性質のことである。

明るさ(brightness)とは、色のついた表面から反射されているように見える光の量のことである。白が可能な限り最も明るい色、黒が最も暗い色である。鮮やかさ(彩度:saturation)とは、色の純度のことである。

Albert Munsellは10の色相の名前の一つと、鮮やかさと明るさを示す二つの数を割り当てることによって、色のついた表面を指定するための表示体系を提唱した(図B)。

色立体では、色の三つの次元は二重の円錐の上に表現できる。色相は演習の点によって表現され、鮮やかさは半径に沿った点によって表現され、明るさ垂直軸上の点によって表現される。色立体から取られた垂直の断面は単一の色相や鮮やかさと明るさの違いを表す。

マンセル表色系において色は色立体によって表現される(色と音の主要な特徴は表に要約している)。

刺激 物理的属性 測定単位 心理経験
波長 ナノメートル 色相
強度 光子 明るさ
純度 灰色の水準 鮮やかさ
周波数 ヘルツ 音の高さ
振幅 デシベル 音の大きさ
複雑さ 倍音 音色

人間が認識できる400~700ナノメートルの範囲内では、私たちは150もの色相を弁別で、おおよそ150の波長を区別できていることを示唆する。このことは、平均して2ナノメートルしか離れていない二つの波長を私たちが弁別できることを意味する。

すなわち、波長の丁度可知差異は2ナノメートルである。150の弁別可能な色のそれぞれが明るさと鮮やかさに関してたくさんの異なる値を取り得るとすると、私たちが弁別できる色の推定数は700満を越える。これらの色のうち7500については名前がある。

これらの数は、私たちの生活にとっての色の重要性を示すものであ(Coren,Ward&Enns,1999)。

混色

私たちが区別できる色相がすべて、たった三つの基本色を混ぜ合わせることによって生成できる。このことは何年もまえに等色実験(color-matching experiment)と呼ばれるものを用いて実際に証明された。

色の異なる光を、網膜の同じ位置に投影するとしよう。この光の混色の結果は一つの新しい色になる。たとえば、580ナノメートルの純粋な黄色い光は黄色に見えるだろう。決定的に重要なのは、その純粋な黄色い光と同一に見える、650ナノメートルの光(赤)と500ナノメートルの光(緑)と450ナノメートルの光(青)の混色で作り出すことができることである。

対等なものを見つけるこの過程は、どんな純粋な可視光線に対しても実施することができる。一対のこのような対等な光、すなわち、物理的な構成は異なるが見かけは同一である二つの光は、異性体(metamers)と呼ばれる。

次の章で視覚系がどのように働くかを理解するため異性体がなぜ重要な手掛かりを与えてくれるかについて一般的な論評を記述する。

すなわち、視覚系のような機構が異性体を構成する手段は、その構成がどのように情報を失うのか明らかにしてくれるからである。私たちの例では、刺激が混合か純粋な光かについての情報は、それらが両方とも同じ黄色い色であると知覚されたときにはすでに失われている。

一見、情報を失うことはあたかも悪いことのように思うかもしれないが、そうではない。私たちはいかなる瞬間にも外界から莫大な量の情報を浴びている。私たちは環境の中で生き残り栄えるためにこの情報のすべてを必要としているわけではないし、その大部分でさえ必要としているわけではない。

このことは、私たちは環境からの入力情報の大部分を除去しなければならず、さもなければ、私たちは絶えず情報の過負荷に押しつぶされることになるであろうということを意味する。異性体を作り出すのは、この情報除去過程なのである。

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