長期記憶 (long-team memory)

新しく入ってきた情報のうち、あるものは秒、分よりももっと長い時間にわたって記憶される。これが長期記憶 (long-team memory)でる。

なにかを記憶しようとするときは、そのことを繰り返し見たり聞いたりする。そして、リハーサルを反復する。リハーサルには、情報を短期記憶、作業記憶に保持する働きがあるが、それを、長期記憶に組み込むことにも役立つ。ただし、単純なリハーサルの反復だけではその効果はない。

情報を長期に保持されるための有効な方法は、それが以前の記憶に関連付けられることである。たとえば聞いた音声をある文字に結びつける場合のように単純な方法もあるが、多くの場合、意味的な符号化によって行われる。意味づけるというのは、すでに持っている知識に関連付けることに他ならない。

意味のあることは、無意味なことに比べてはるかによく記憶され、また、無意味なことを覚えるときに、有意味化して覚えやすくしようとすることが多い。ある事柄を述べた文章の内容について、理由付けをしたり、原因や結果を考えたりすることも、その文章の記憶を助ける。

このように関連した情報を付加し、内容をより豊富にするような仕方を、精緻化(elaboration)と呼ばれる。これによって、想起の祭の手がかりが増し、また記憶する事柄を組織化することも記憶の助けになる。

たとえば、同じ対象でも、まったくランダムな順序「2301、DABC、いえあうお」よりは、「0123、ABCD、あいうえお」などの順番にするほうが、記憶しやすくなるだろうし、また、対象を何らかの性質ごとに分類することによって、記憶はおおいに助けられる。

いくつかのカテゴリに属する物事の名前をそれぞれいくつか選んで、その全部をランダムな順に提示し自由に再生されると(自由再生)させると、同じカテゴリのものはまとまって再生される率が高くなる。すなわち、ランダムに入ってきた情報が、すでに持っているカテゴリによる分類のしかたに関連づけて整理されていると考えられる。

このように記憶する事柄を何らかのしかたでまとめることが、体制化(組織化)である。私たちは、すでに多くの情報を取り入れ、複雑に組織化された知識として記憶しているのである。新しい情報は、そのような知識に関連づけられて、取り入れられるのである。

検索・干渉・忘却

長期記憶に取り入れられた情報は、必要に応じて想起される。これは膨大な記憶の中から必要な情報を探し出す過程と考えられるので検索ともいう。想起は一般に何らかの手がかりに応じる。しかし、記憶したはずの事柄が想起できないといったことがしばしば起こる。これが忘却である。

一般に、記銘後時間が経過するにしたがって忘却の率が増す。記銘後の時間経過に対して、想起できた量を示したグラフを保持曲線といい、記憶の保持時間を初めて実験的に研究したのはエビングハウス(Ebbinghaus,1885)で、下記の保持曲線の形は指示されているが、記憶に保持の経過は種々の条件によって変化する。
ビングハウス(Ebbinghaus)の保持(忘却)曲線

忘却を生じる原因は色々あるが、長期記憶では、単なる時間の経過によって記憶が減衰するということはほとんどないと言ってよい。

特定の忘却を生じる最も重要な要因は、他の対象の記憶である。たとえば20人の人の名前を覚えて、翌日思い出すとする。再生までのあいだにさらに別の10人の名前を覚えた場合には、何もしなかった場合に比べて、初めの20人の名前の再生はかなり困難になる。

このように記憶されたことはお互いに影響しあっている。一般に、お互いにある程度類似性があり、しかも体制化(組織化)されていない事柄は、互いに記憶を妨げる。これは干渉といわれる。干渉は、時間的方向を考えると2つに分けられる。

前に記憶したことが後の記憶を妨げるのを順向抑制といい、後で他のことを記憶することで前の記憶が妨げられるのを逆向抑制という。

抑圧

記憶していることが想起できるか否かは、手がかりの性質に謡ることが大きい。ある手がかりでは再生できなかったことが、別の手がかりがあると容易に再生できる場合がある。ある事柄が記憶されていた場面や文脈も想起の手がかりとして働く。

経験に伴う感情も記憶に影響し、一般に強い感情を伴った経験は、よりよく記憶される。一方、臨床的な場面では、フロイト(1933)の抑圧の概念があり、自我を脅かすような強烈な不快な経験は、抑圧されて無意識の層に押し込められて、思い出せない状態になることがあるといわれる。

私たちは、色々な物事、事象について、それが大体どのようなものであるかの知識を持っている。そのような個々のまとまった知識をスキーマといい、日常生活で何かを経験するときには、そのようなすでにもっているスキーマに当てはめて認識している。

これによって、日々の経験の中で膨大な情報を効率よく処理することが可能になる。しかしそのために、個々の具体的な経験に含まれる色々の細かい特徴的な点などが、認知や保持の祭に失われてしまうことも起こりやすい。すなわち経験されたことが、自分の知識に関連付けられるものとして記憶されるのである。

また、想起の祭に、以前実際に経験したことを思い出しているつもりでも、自分の今までの知識に合わせて再構成していることが少なくない。想起された記憶を、記銘時に与えられたものと比べると、いろいろの変容が生じていることがわかる。

このように私たちの記憶は、経験したことそのままではなく、私たち自身の知識に関連づけるように処理され、組み込まれ、また取り出されるのである。

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