誤記憶と正常記憶

これまでの節で説明あるように、記憶の多くは正確さを欠いている。最近、心理学者や神経科学者たちは、まったく起きていない出来事を人が確信をもって思い出すときに生じる偽記憶(memory illusions)をもたらすさまざまな機制を描く試みをはじめた。

偽記憶に関する研究は急速に注目を浴びつつある。なぜなら、そうした研究は現実世界に明らかに応用でき(たとえば目撃者の証言のような法的な問題)、一方では同時にそうした研究が正常な記憶過程を私たちが理解する上で役に立つからである。

多くの種類の偽記憶がこれまでに確認されている。事後情報の記憶への統合、そして推測した情報を経験された出来事として誤って記憶することなどもある。特に多く研究されてきた一つの偽記憶が、DRM効果(この文字は錯誤を広範んに研究してきたJames Deese,Henry Roediger,&Kathleen McDemottの頭文字を指す)である。

ここでは、被験者は単語の一覧表を聞いて、直後にその単語を再生するように求められる。トリックは、それぞれの一覧表の単語はすべて、その一覧表にない中心的な主題語(たとえば椅子)と密接に関係した仲間である(たとえば、座るテーブル、座席など)ということである。

驚くべき結果は、一覧表で実際に提示されていた単語を思い出すことよりも、決して提示されなかった主題語をよりよく再生するということである(Roediger&McDermott,1995)。

記憶結合エラーは研究されているもう一つのよく知られた錯誤である。ここでは、被験者は覚えなければならない項目(たとえば、SOMEPLACEとANYWHEREといった単語)を提示され、その後、前に記憶した項目の一部から構成された新しい項目(たとえば、SOMEWHERE)を含む再認検査を受ける。

被験者はこの新しい項目が前に提示されていた言い張る傾向が非常に強かった。

こうした錯誤のそれぞれは相互に異なるけれども、それらは記憶の中の情報の出所を正確に記憶することの失敗として記述できるかもしれない。マルシア・ジョンソンと彼女の共同研者(Mitchell&Johnson,Hashtroudi,&Lindsay,1993)は、ソース・モニタリング(source monitering)と呼ばれる一つの重要な記憶過程が、記憶の中で情報をその情報源に帰属させていると提案している。

たとえば、もしあなたが誰かからの新しい映画を見たほうがいいよと言われたことを思い出したとする。そのとき、そのことをあなたに話した人がだれであったかを思い出すことができれば、あなたは映画の好みをその人とその人と共有できるかどうかを決めることができる。

ソース・モニタリング過程は推理法における最もありそうな情報源を特定する。たとえば、もしあなたがその映画について聞いたのは、つい最近のことであると気がつけば、最近であった情報源だけを考えるであろう。

ソース・モニタリングは推論に基づいているので、時には失敗して、情報源について誤った記憶につながることもある。このことは多くの偽記憶を説明するのに役に立つかもしれない。

たとえば、人は事後の情報源を誤って出来事そのものに帰属させ、その結果、確信はあるが間違った記憶を導くことになる。同様にDRM実験において多様な関連をもつ単語を提示されると主題語が被験者の頭に浮かぶ。

参加者はその主題語に対する最新の記憶の情報源を、誤って以前に聞いていた一覧表に帰属させるかもしれない。記憶結合エラーの場合では、被験者は単語の一部を同じ出所の語から発生しているものと誤って記憶しているかもしれない。

このように、偽記憶は、情報の記憶がその出所の記憶から分離していることを例証しており、さらに記憶の正確さにとってソース・モニタリングの重要性を示している。情報源の記憶は正常な認知的加齢現象の一部として減衰することが示されている。

たとえば、シャクターら(Schacter et al.,1991)による実験において、二人の人が成人の若い被験者とお年寄りの被験者に単語を大きな声で読み上げる。二つの年齢群の被験者は、再認検査において新しい単語と古い単語を識別する際の成績はほぼ同じであった。

しかし、若者群は単語の情報源をより正確に想起した(もともと二人の読み手の内のどちらがそれぞれの単語を読んでいたか)。このように、年をとるにつれて、多くの偽記憶の影響を受けやすいようである。

このことは次に年寄りに困った状況をもたらすことになる。たとえば、お年寄りの中には時として、つい先ほど薬を飲んだかどうか、あるいはそれよりもつい先ほど薬を飲もうと考えたかどうか、どちらだったのかを思い出すことに苦労すると訴える人もいる。

この場合、お年寄りは薬を飲むことについての最新の記憶をもっていることは確かだが、その出所が内的な思考なのか実際の行動なのかどうかを思い出すことができないのである。

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