人間は、他者の「こころ」の状態をどれだけ理解し、推量することができるだろうか。また、子どもは、他者の「こころ」の状態を何歳ころになったら理解し、推量することができるようになるだろうか。
このような問題は、最初チンパンジーがヒトの「こころ」を理解できるかどうかの研究として、プリマックら(1978)によってはじめられた。その結果、チンパンジーが種々の実験場面にで、ヒトの「こころ」の状態を理解できると見いだされた。ヒトや動物が(異なった動物種間を含め)他者の「こころ」の状態(目的、思考、意図、信念など)を理解し推量する働きを比喩的に心の理論(theory of mind)と呼んでいる。
この問題は、他者の「こころ」や自己の「こころ」についての理解や、メタ認知(metacognition:自己の通常の認知活動を監視て、目標に沿って制御する認知の働き、たとえば、ある状態についてどう考えるかを評価したり、あるいは自分の信念に何か誤りがないかどうかと不安になることがある。このような思考についての思考)の問題とかかわりをもち、幼児の認知発達を明らかにするための重要な課題である。
心理学者はメタ認知、あるいはより一般的に言えば、個人の持つ心の理論はどのように発達するのか関心を持っている。そして、欲求、知覚、信念、知識、思考、感情など、子どもの基本的な精神状態についての知識が研究されている(Flavell,1999)。次に示す研究は、代表的な心の理論に関する研究であり、基本的な発達的知見を見出している。
実験者は5歳の幼児にキャンディの絵が描かれたキャンディ箱を見せた。そして、その中に何が入っているのかをたずねた。「キャンディ」との答えが返ってきた。次にその幼児は箱の中をのぞくと、驚いたことに、そこにはキャンディではなくクレヨンが入っていた。
実験者は、次に、まだ箱の中を見ていない別の子どもならその箱に何が入っていると思うか、とたずねた。「キャンディ」とその幼児は、だませることを面白がっているかのように答えた。実験者は同じことを3歳の幼児に行った。
最初の質問に対する答えは、予期されたように「キャンディ」だった。しかし二番目の質問については、驚いたことに「クレヨン」と真面目な顔をして答えた。さらにいっそう驚くべきことに、その3歳の幼児は最初から箱の中にクレヨンが入っていると思ったからそう言ったと主張した。
この知見から、就学前の子どもは基本的に心の理論を持っていないと解釈できる。つまり他人が自分とは異なる思いや考えを持つことがわからない。それゆえ、他者が自分自身の信念とは異なる信念を持つことや現実とは異なる信念を持つことが理解できない。
また、「誤った信念の課題:誤信念課題」または「サリーとアンの課題」と呼ばれる実験がある。この実験もまた、子どもが他者(サリー)の考えや、信念を推量できるか否かの実験である。
実験者は、被験児にサリーとアンの人形を示し、サリーがビー玉を自分のカゴに入れてから、その場を立ち去るのを見せる。サリーが留守のあいだに、案はサリーのビー玉を自分のハコに隠す。やがてサリーが戻ってきたときに、サリーは自分のビー玉をどこで探すだろうか、という課題である。
子どもに対して、①ビー玉は本当はどこにあるか、②前にはそれはどこにあったのか、③サリーはどこを探すと思うか、の3つをたずねる。①②の質問は、被験児による状況の理解と記憶を調べる質問であるから、他者(サリー)の「こころ」とは関係ない。
③の質問が、この研究の焦点であり、被験児が他者(この場合サリー)の考えや信念を推量できるか否かを問うている。被験児が③の質問に対しても自分が見たままの「サリーは箱を探す」と答えれば、他者の考えを推量していないことになる。この場合も正しく答えられるのは、4歳ころからである。
またこれらは一次的課題と呼ばれる。それに対して、複雑にした状況を設定することができ。すなわち「『人物Aは対象物Xが場所Yにあると思っている』と人物Bは思っているか」というように入れ子状にした課題を二次的課題という。
このような課題に正答できるのは、健常児でも4~7歳ころになってからである。これ以前の子どもは、直接自分が見た事実を中心にして「サリーはハコを探す」と推量することが多い。なお、この実験を行った研究者は、客観的な事実(ビー玉はいまハコの中にある)を基準にとるために、「サリーは誤った考え、誤った信念によって、ビー玉がかごの中にあると思っている」とすることである。
この場合、他者の「こころ」を推量する働きを子どもがもつことを、比喩的に心の理論をもつと呼んでいる。
では、子どもの心の理論はどのように発達するのであろうか。パーチとウェルマン(Bartsch&Wellman,1995)は、心の理論には三つの発達段階があると考える。第一段階は、2歳ころであり、この年齢の子どもは単純な欲求、情動、知覚的経験に関する基礎的な概念を持つ。人々が欲しがったり恐れたり、また物を見たり、感じたりすることは理解する。
しかし、他者が対象物だけではなく、自分自身の欲求や信念の両方を心的に表象することを理解しない。
第二段階である3歳ごろになると、欲求をはじめ信念や思考をについて話せるようになる。また信念は正しいものもあれば誤ったものあることを、また人それぞれの信念は異なることをできるようになるが、依然として、自分自身の活動やほかの人の活動を、信念というよりむしろ欲求によって説明しようとする。
最後の第三段階は4歳ごろである。このころになると、人の思考や信念はその人の行動に影響を及ぼすこと、さらに人は現実をまったく反映しない信念を持つこともあり得ることを理解し始める。
しかしながら、この他者の心の理解についての基本的要素は2歳よりもずっと前に現れる(Tomasello,Carpenter&Liszkowski,2007)。よい例は大人の注意をを方向づけるための1歳児の指差しの使用である。このような行動から、乳児か大人の心が自分のものと異なっており、指さしによって大人の注意を面白い物体に向けさせられていると知っていることが示唆される。
指さしが大人の心(注意)を方向づけるために意図的に使われているという証拠は、乳児のぬいぐるみのような物体に対する指さしを大人が無視するという実験から得られている。大人のそのような行動によって乳児は苛立ち、大人に注意を向けさせる繰り返し指さしを試みる(Liszkowski et al.,2004)。
また、この心の理論に関する最も興味深い研究の一つは、他者に対する応答がなく、ほかの人々とのコミュニケーションに多くの問題を持つ、対人関係に重い障害がある、自閉症(autism)を対象にした研究である。
サイモン・バロン-コーエン(Baron-Cohen&Wheelwright,2004)は、自閉性障害を持つ子供が基本的な心の理論を持っていないこと、他者の感情、欲求、信念を理解する能力がないことを示唆した。概して自閉性障害を持つ子供にとって、他の物と同じように思われる。
そのため「サリーとアンの課題」のような「誤信念課題」には著しい困難を示す。健常児、ダウン症(ダウン症候群は、ダウン(Down,1866)によってはじめて記載された発達障害。21番目の染色体異常により知的障害が生じ、一般に、IQは25~50程度、情動や社会性は比較的よく、ひょうきんなどの特徴をもち、性格は温厚である)、自閉症児についてIQや言語機能力をほぼ等しく5,6歳に合わせて「サリーとアンの課題」を行わせると、健常児、ダウン症児とも①~③の質問に正しく答えられた。
一方、自閉症児は①と②の質問に正しく答えられるが、③の質問に「サリーはハコを探す」と答え、他者の考えや信念の推量する働きに障害があることが示唆される(Frith)。
こうした研究は、子どもが他者の「こころ」、さらには自己の「こころ」について正しく理解し、他者の「こころ」を正しく推量する働き、いわゆる心の理論を持つようになるには、かなり長時間の発達過程が必要なことを示す。またその働きには、いわゆる「社会脳」とよばれる領域などが関わっているとされている(Saxe&Kanwisher,2003)。
なお直接に事物、事象を心に浮かべる働きを一次表象作用というのに対して、自分または他社が一次表象を持っていることを思い浮かべる働きを二次表象作用と呼ぶ。これは、メタ認知とも呼ばれる。チンパンジーやヒトの子どもがこうしたメタ認知を持つことは、認知発達の重要な側面である。
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