ピアジェの理論(詳しくは「児童期の認知発達1-ピアジェの発達段階理論を参照」は、児童期の認知発達(知的発達面)に対し、革命的な考えで知的発展を導くものであったが、その後、他の新しい研究、検証により、子供の能力を過小評価しているとされた。
発達段階理論を検証する課題の多くは、注意、記憶、特定の事実的知識がと言ったものが必要とされる。子供は実際それらの検査で必要な能力を持っていたとしても、その課題に失敗するのは、それ以外の必要な、しかし、直接関係しない技能の何かが不足しているためであると推察されている。
対象物の永続性で考えてみると、「乳児は示されたおもちゃを見ている最中に、何がで覆い隠し見えなくすると、もはや何も存在しないかのように振る舞い、おもちゃを探そうとしない」このことを完全に検証するには、対象物が存在し続けるという理解だけでなく、どこにその対象物が隠されているかを記憶し、また、その対象物を探しているという何らかの身体的行為を示すことが必要となる。
ピアジェの理論では、認知発達の初期段階は感覚運動活動に依存すると考えていたので、乳児がその対象物が依然と存在することを理解していても、探す行為を介してそのことを表現することは出来ないという可能性を取り立てて考慮しなかった。
そして、この可能性については、子供を積極的に隠されたものを探し求めることを要求しない研究により検証された。
この装置は下図のように、つい立ての端がテーブルの上に固定され、最初は、つい立てがテーブル上に平らになった状態にあり、子供が見ている間、つい立はゆっくりと子供から遠ざかるように回転し、完全に180度回になるまで回転し続け、つい立は再び平らな状態になる。それから、つい立は反対方向、つまり子供に向かって回転し始めるというものであった。
乳児は、はじめのうちはこの回転するつい立を見せられたと、ほとんどその一部始終を見つめていた。しかし、何回か繰り返されると、それに対する興味を速やかに失い、それ以外の別の物に注意を向けるようになった。この時点で、色鮮やかな箱がテーブルの上に出現する。
その箱は、ちょうどつい立が90度に達したとき、つい立に隠れてしまう位置にあった(実際に子供がみているのは、投影された箱の像であり、実物の箱ではない)。図に示すように、可能事態か不可能事態かのいずれかが示された。
乳児のある一群には、つい立が最初の状態からちょうど箱にぶつかるところまで回転し、この時点でつい立は動きを止め、そして元の状態に戻ってくる事態が示された。もう一つの別の群には、つい立が90度の位置まで回転するが、その後も回転し続け、まるでそこに箱が存在しないかのように反対側の180度の位置まで回転する事態が示された。
研究者が考えたことは、もし乳児がつい立で隠されても、箱は依然として存在すると思っているなら、つい立てが箱をあたかもすり抜けてしまうように見える不可能な事態になった場合、驚くに違いない。つまり、つい立が箱にぶつかり、また元の最初の位置に戻る事態よりも、不可能な事態を長く注視するはずだと推理した。
この推理はまさに現実のものとなり、不可能な事態は、繰り返し何度も見て興味を失ったものと、知覚的にはまったく同じであるにもかかわらず、この乳児はその事態を、それまで一度も見たことがなかった物理的に可能な事態(つい立てが途中で停止し、元の状態に戻ってくる)よりもより多くの興味、関心を示した(Baillargeon,Spelk&Wasserman,1985)。
この実験の乳児がわずか4か月半であったことは、対象物の永続性が、ピアジェ理論の予想する年齢より4~5か月も早く見られたことになる。その後の追試研究では、3か月半の乳児でも対象物の永続性を示すことが明らかとなった(Ballargeon,1987;Billargeon&DeVos,1991)。
ピアジェの保存課題を扱った最近の研究においても同様に、ピアジェ理論が予想するよりも早い段階で、子どもたちの心的能力は発達していることが明らかとなっている。数の保存を扱った研究では、二組のおもちゃが一対一に対応するように並べられた。
そして実験者は「これは君の兵士、そしてこっちのほうは私の兵士。私の兵士と君の兵士とどちらがたくさんいるかな。それとも同じかな」と尋ねた。子どもがこの質問に正しく答えられた後、実験者は一方の列のおもちゃを広げて、また同じ質問を繰り返した。
ピアジェの報告したように、5歳の幼児は保存に失敗し、広げたほうの列が多いと答えた。実験者は、次に二つめの条件を導入した。おもちゃの個々の兵士として表現するのではなく、「これは私の軍隊、こちらにあるのは君の軍隊。どっちが多いかな、君の軍隊かな。それとも両方とも同じかな」と単純に表現を変えただけで、ほとんどの幼児は数の保存(conservation)を示した。
たとえ一方が広く並べたとしても二つの「軍隊」はまったく同じ大きさであると判断した。子どもたちは、示された事象を個々の単なるものというのではなく、一つの集合あるいはまとまりとして理解できるように手助けすることで、同じだと判断した。
等価の判断は、見かけ上の無関係な変化による影響をほとんど受けることはないといえる(Markman,1979)。
さらにまた、具体的操作段階の思考の発達に影響を及ぼすさまざまな要因を確認した研究もある。たとえば、学校へ就職することの経験がピアジェの課題の習熟を促進することが明らかになっている(Artman&Cahan1993)。
これらの研究けっかは、具体的操作段階の推理が児童期の半ばで現れる普遍的な発達段階ではなく、文化的な状況や就学による産物であり、特殊な言い回しの質問や教示に依存していることを示唆している。
コメント